包丁一本さらしに巻いて

それは機能です

もうすぐ今の会社に入って1年経つのでエモ文章を書く。

TL;DR

30歳1歩手前の自分の考えをまとめておく。35歳の自分へ。人間の機能編。

  • 人間を機能の集合と捉える
  • 機能を研ぎ澄まし、発動スピード、マッチング精度を向上させる
  • 無意識に発動する機能に意識的になる
  • 人間の機能とその先

公開するにあたって

以下書くことは自分が生きやすいように考えた体系なので自分以外には当てはまらない部分が沢山あると思う。しかも大概が2008年から2014年までのたった6年働いた経験を元にエモ要素多めにひねり出しているものなので、読むのであれば、これは真理とかの類じゃなくてこういう考え方もあると思って読んで頂けるといいんじゃないかと思う。

人間を機能の集合と捉える

人間は機能の塊だ。機能とは例えば「スケジュールを上手く組んで予定通り事を進める」だったり、「突拍子も無い事を言ってみんなを笑わせる」であったり、「結構速く走れる」だったり、「鼻毛が出てる人に言葉を使わずに鼻毛が出てる事を気づかせてあげる」事だったりする。抽象的に言えば、意識的な反復と反復の中で経験される成功/失敗から成功の確率を上げていける行動全て、を機能と言う事にする。もちろん、成功と失敗の間はグラデーションになっているので一概には言えない部分もあるけど、「何が目指す先に合致する成功なのか、失敗なのか、グラデーションの中でも許容できる範囲を適切に決める」という事も、意識的な反復と学習によって精度は上げれるので、一種の機能という事ができると思う。

ダラダラ書いたけど、人間の行動の大体を「反復と学習で精度を向上できる」ものだという位置づけにする、ってことだ。

こういう定義をしたのは、それが真理だから、という類のものではなく、それが色々便利だから、という理由による。幾つかその理由を上げてみる。

1. 苦手があんまり無くなる

こういう定義にしておくと、まず「何かが苦手」という意識が少なくなる。どういう事かというと、上記定義にもとれば、成功の確率が高く無い、うまくできない、というのは「反復した回数が少ない」と「学習速度が遅い」の二つに分離でき、どちらかに問題がある場合に発生する成功率の低さを言い表した事にすぎないからだ。

ただし、これは好きや嫌いとは異なる。

もちろん好きであった方が機能の精度向上スピードは段違いに速いし、嫌いな事をやってたらテンション下がる上に効率はよくない。自分は組織として価値を作って対価を貰う活動を5年くらいやって来て、色々な仕事に関わってきているけど、今のところ「絶対やりたくない」というレベルの仕事には出会ったことはない。ただ、上に書いたような理由で「好きだ、嫌いだ」は口に出して言うけど、「苦手」とはあまり言わなくなった。

2. 名前を付けれる、再現性が有る

機能として精度を上げていくと、同じような状況で、その機能を再度実行できるようになる。自分は特別な才能は持ちあわせておらず、反復と学習以上の結果を人生で出した事がない。運も無ければ閃きも無いし、大体結果は反復と学習に見合う結果か、その瞬間の体調によってはそれ以下だ。

愚痴っぽくなったけど、機能という単位で自分ができる事を認識しておけば、それを再現させることも、組み合わせて使う事も、何も体系が無い場合よりも簡単になるような気がしている。

3. 個人のアイデンティティと機能を分離できる

仕事をしていると、他の人の仕事を見てイマイチだなーと思う事が正直たまにある。ただ、その時も結局そういった機能を備えてない、つまり反復と学習が足りてないだけで、反復と学習すれば身につくものだから、その人自体にどうこう思わないようになる。前職時代に顕著だったけど、自分は何かを達成しようと動いている時、比較的頭に血が登りやすく、今思い出すだけでも結構痛い、個人攻撃とも取れるような行動をとっていたと思う。恥ずい。ただ機能の概念を脳味噌に染み込ませるにつけ、そういう時にも冷静に行動できるようになった気がする。この部分に関してはまだまだうまいことやれる気がしている。

上記は他の人のアイデンティティとの関わり方の話しだけど、この考え方は自己のアイデンティティと機能も分けておけるので、誰かから何かしら指摘を受けた際に結構素直になれるっていうのもいいところだ。自己のアイデンティティと機能が密結合になっていると、指摘された人が持つ機能の否定を個人の否定だと受け取られるケースが多く、そういう人たちには良い指摘が集まらず、もったいないなと思う。

個人のアイデンティティと機能を密結合させ、突き詰めていけば、もはや誰も手が及ばないくらい物凄い機能を発達させそうな気もしているけど、機能とアイデンティティの密結合は自分にはむいてねーなと思っているのが現状です。

機能を研ぎ澄まし、発動速度、マッチング精度を向上させる

機能は精度を向上させることができる。これはつまり、「反復回数」と「学習速度」という2つの要素を向上させ、現状を成功と定義した状態に持っていける可能性と速度を上げれるという事だ。この機能の精度に加えて、マッチング精度があるように思う。

目の前にある前提条件を元に、どの機能を発動させれば良い結果が得られそうか、というのがマッチングの精度。機能の精度、現状と発動させる機能のマッチング精度、の2要素に分けておくことで、今回は機能の精度が足りなかったのか、それとも現状にそぐわない機能を発動させてしまったのか、何かが上手く行かなかった場合、後から分析する時に役に立つ気がしている。

無意識に発動する機能に意識的になる

上記のように、機能の精度、マッチング精度を上げていくと、比較的物事が上手く進むようになる。迷わない。何度も上手くいきはじめるとこの傾向はより一層強化される。特に、価値を作って対価を貰う人になってからしばらくすると、自分がいる状況、つまりは職場の状況に合わせてこの傾向がどんどん強化されていく。最初は意識して発動させていた機能も、やがて発動コストは下がり、マッチングスピードも上がり、なんならもはやほとんど意識しないで実行できるようになる。

これはとても良いことだと思っている。自分は組織として価値を作って対価を貰う人になった瞬間、ただのゴミ同然だったので、機能が充実していき、結果が出てくる過程は当時大変嬉しかったのを覚えている。

また、上記は意識してつけた機能の話に特化しているけども、意識しないでつけた機能もたくさんある。「特に意識してつけたわけではないけど、効率が良いが故に無意識的に発動している機能」、そのようなタイプのほうが、意識的に身につけた機能よりも多い印象がある。

例えば、目を血走らせた友達に「今週金曜日は羊を捌いて太陽の神に捧げるからナタを用意しておいてくれ」と鬼気迫る感じで言われたら、「おい、大丈夫か」ってなる。でもこの「おい、大丈夫か」ってなる際に発動してる機能がある。20 - 21世紀という自分が生きる時間的制約、日本という地理的制約を前提に発達した、「やばそうなものを嗅ぎ分ける機能」。機能の名称からだいぶ適当な香りがしているけど、要は「自分が意識せずに発達してしまった機能」って事。誰も「太陽の神とか羊を捌くとか言ってるヤツに近寄ると危ない」と感じとる機能を意識して発達させたわけではないはずだ。

上の2つのタイプの機能、無意識に身についた機能、意識的に身につけたけど発動に無意識になってしまっている機能を、出くわす度にちゃんと意識してやらねばいかんなー、というのが30歳目前にして最近特に思う事。

「え、おかしくない?」って自動的に考えてしまう時、「あ、それ完璧だから速攻やろうよ!」って反射的に思う時、何をベースにそれらの判断が出てきているのか、蓄積もある程度あるだけに一つ一つ真摯に向かい合う時期な気がしている(ダラダラ考え続けるっていう意味ではない)。

特に自分の場合は職場も職業も変わったので、ことさらこの課題感が大きくなってるってのもある。こういう風に考えておくと、「大企業からスタートアップに転職したから今までの考え方を捨てろ!」的な雑な議論ではなく、「今まで培ってきた機能はこういうコンテクストだったから効果を発揮していた。今のコンテクストはこのように変化しているので、既存機能を捨てるのではなく、脇に除けておいて新しく機能を作ろう。その際に脇にある機能から一部借りても良い。」とかって話ができる。

人間の機能とその先

ダラダラ長ったらしく書いたことは全て、戦術レベルの話だ。目的は決まっており、達成すべき目標が有り、そこに効率的に向かう手段をどのように捉えるかという問に対する自分なりの答えが「人を機能の塊と捉える」だ。

恐らく、機能だけを発達させていって、それに忠実に従うのであるなら、自分は職を変えてないし、今の職場にも転職してない。なかなか言語化しづらい部分ではあるんだけど、自分はソフトウェアを書くという行為自体がとても好きだし、今の会社がやっている事は先が見えないしよくわからん事で楽しそうだったから職業を変えて職場も変えた。

なんとなく好きである、ワクワクする、っていうのに従う姿勢はたぶん中学生くらいからずっと持ってて、サッカーしに高校行ったのも、大学アメリカに行ったのも、バックパッカーしてたのも、炎舞のプロ目指したのも、怪しげな外資コンサルに入社したのも、また今の会社で働いているのも、この辺りの気持ちに正直でいたことが大きく作用しているんだろうと思う。

そして経験上そういう気持ちに従って動いている時は、振り返った時大体いい選択してる。こういう選択の時、やっぱり機能という考え方は弱いのかもしれないと感じている部分はある。もしかしたら複数機能を無意識に総動員して選択しているのかもしれないけど、好きである、ワクワクする、っていうのを体系的に捉えるのは難しいなと思う。

冷徹に自分を機能で割っていくと、余る部分がほんのすこしだけある。

その理で割り切れない残りカスこそ、自分が自分である所以である「好き」や「嫌い」や「ワクワクする」なのかもしれないというのが今思うところ。そういった説明のつかない部分は定期的に引きこもって言語化を試みている。定量的に計測しにくい上に個人的で言語化しにくく、理由無く礼賛される部分に関しては思考停止しがちなので、諦めずに今後も言語化を試みようと思う。

35歳の自分へ

進捗どうですか?

どうなってるかあんましよくわからんけど、がんがんソフトウェア書いていこうぜ。