包丁一本さらしに巻いて

在るべきものを在らしめる

「なぜ」そのプロダクトは存在するのか

前提として、原理や理論を全くのゼロからは構築するのは凄く難しいし、受け継いだものを使うから人間は進化できる。だから、そこに現れた(ように見える)作られたものはゼロから作られたものってほぼ無くて、もともとその時間に其処に在るべきものであっただけ。また、その時間に在るべきでない形で生まれたものは、運が良ければ形を変えて在るべき形に収まるが、大体は在るべきでない形のものは無くなってしまうし、その時その場所で在るべきものだったけど時間と場所が変わればそうじゃない、ってこともある。よって、形が生まれてからも、在るべきものとは何か、問わなければならない。やはり外部環境が在るべきものの形を決めていて、プロダクトが小さいうちは外部環境を意図した通りに変更する事は非常に難しい

人間の意識の変化、技術の進歩、そういうものが描く轍の間にできるのが「在るべきもの」なんじゃないか。今では当たり前の自由/人権という概念も当時の社会状況の変化によって在るべきものに昇格したもの。event driven non blocking i/oも在ってもよかったけど時代の要請で在るべきものに昇格したもの。

「なにが在るのか」を調べるのが基礎研究、「今この瞬間この地に在るべきものは何か」を考えるのが商売、「在るべきものを在らしめる」のが技術。この三つは互いに絡み合ってるので綺麗に分類できないけど、観点として大事な気がしている。