包丁一本さらしに巻いて

インターネットと文章

ソフトウェアエンジニアに対するアンサーブログを書こうと思ってたら、アンサーブログってなんか懐かしくて良いなと思った。ただ、自分はこの類の文章を1年前に書いてしまっており、同様のスタイルで出せる分量の気合の入った仕事がまだ存在しない。去年一年やったことはほぼ書いてしまっている。なので正確に言うと何もアンサーしていないが、インターネットと文章について書こうと思う。

インターネット

高校生だった当時2002年、親戚の大学生だったお兄ちゃんに侍魂というサイトを教えてもらい、親父の仕事用PCで読んだ。衝撃だった。文章でこんなに笑ったのは人生で初めてだった。そこから色んなテキストサイトを読んだ。特に「Numeri」、「俺とパンダ」は本当に好きでたぶん全部読んでる。

2003-2005年、大学生の頃に自分でさくらのレンタルサーバーを借りてHTMLを手打ちした自分の「ホームページ」を作っていた。WYSIWYGとかない、ffftpを使ってアップロードするタイプのアレだ。当時いわゆるテキストサイトではなくホームページ寄りの「地球の荒らし方」や「Study Abroad」というサイトに書いてある文章を読んで、「文章はすごい。俺もやりたい。」と思いネットから検索してサーバーを契約する方法を学び、HTMLとCSSを学び、稚拙ながら自分の城を作ることを楽しんでいた。今では上記2つのホームページは無くなってしまっている。これ以外にも好きなインターネット上の文章はたくさんあった。それらのドメインが失効してアフィサイトになってるのを見つける度に、ホスティング/ブログサービスが運営停止する度に、インターネットにある文章は人間の生と同じように有限なんだという思いを強くしている。当時は全く想像していなかったけど、インターネットの文章は死んで記憶の中にしかいなくなるタイミングがある。

2004年から始まったmixiもまだ招待制だったタイミングからやっていた。ただやっぱりリアルのつながりをゆるく継続しながらたまに文章を書くという位置づけだった気がする。今開くと死ぬほど恥ずかしい文章が残っているが、そこはやっぱり実名の抑止力みたいなものがあるので即死クラスの文章は載せてない。

2004年Facebookが設立され、2005年位から海外の大学にじわじわと浸透しはじめていた。自分はその波を現地で観測していたんだけどこれも凄いなと思った。大学のコンピュータールームでFB開いてる人間の多さに驚いていたが、気づくと自分もFacebookを楽しく使っていた。スマホも無い時代だったので写真を上げる為にデジカメをPCにつないで写真をアップロードしていたのは懐かしい思い出だ。

2004-2005年、前々年くらいから盛り上がっていたブログが一気に普及した。普通の人間がHTMLやCSSの知識無く、Webサーバーの設定やドメインの設定無しで、しかも無料で、いきなり文章を書いてインターネットに公開できるようになった。すごくね??Web進化論でWisdom of Cloudsじゃね??昨今のSNSに懐疑的で慎重な姿勢とは異なり、カリフォルニアン・イデオロギー最高という空気が社会にはあったと思う。

文章

この頃から自分も匿名でハンドルネームを作ってブログをやっていた。ホームページよりも文章の更新がやりやすいし、そこにある活気に引き寄せられる形でブログに移行したんだと記憶している。今記事は全部非公開になっていて、自分しか見れないようになっている。ここには2004年時点19歳の頃から10年くらい書き続けた、読んで即死級の文章が1230件保存されている。mixi日記とはレベルが違う。1230回死ねる。

なんでこんなに書いていたのかを思い返すと、やっぱりそこにあったコミュニティが大きかったんだと思うのが一つ。その当時ブログ提供サービスにはコミュニティを促進する機能が色々あった。トラックバックもそうだし、自治的に企画(リレーブログ等)をやる人たちが現れたりしていて、自分もゆるくその中に入っていた。

最初は「物理的制約が無い思念体だけになった時に自分はどうなるのか」というのにとても興味があった。これは自分ひとりでは確認できなくて、他の人間から見られた際にどうなるのかという部分まで含むので、匿名でオープンな場所で文章を書かないとわからなかった事だろうと思う。文章を書き、他の人が書いた文章を読むうちに、「この人の文章は素敵だな」という人を見つけては定期的に更新を確認しにいくようになり、お互いコメントをしたりして仲良くなっていった。コメントを残すのは毎回緊張した。音声を使って会話できず、表情や身振り手振りを使えず、文字でしかコミュニケーションできない。細心の注意を払い、繊細なトピックを扱う記事には意図が正確に伝わるように、面白おかしいトピックにはユーモアを加えれるように、毎回ドキドキしながらコメントをし、もらったコメントに返信していた気がする。

もう一つはやっぱり匿名で書く文章が楽しかったんだと思う。物理的制約を捨て、何者でもない状態で、己の赤心を文字に起こし誰でも読める形にする。書く過程で気づく事もあり、外部からの反響がある。それがたぶん、すごい衝撃的な経験だった。

当時書いていたブログ経由で知り合った人たちとは今も遊んでいる。10くらい年が離れていた人たちばかりだけど、既にかれこれ10年以上の付き合いになる。今と比較して当時の自分は10倍くらいひねくれていて、心に余裕はなく、人間の事がかなり嫌いだったと思う。そういう人間に対しても普通に接してくれる人間はこの世に存在しているという事を知れた。この経験は本当に得難いもので、彼らがいなかったらと思うと今でも背筋が凍る。

彼らは彼らの挑戦と生活を続けており、会う度に刺激を貰えるし、あの頃の話はいつになっても最高の酒の肴である。

インターネットと文章

働きはじめてからこっち、インターネット上で文章を書いたり読んだりすることが減った。それは当時から書いてるブログに対する熱が冷めてしまったというのもある。ただここ2、3年、にわかにまたインターネット経由で知り合い、実際に会って話し、酒を飲んだりして、この人達は本当に人生に向き合ってやっていっている、という人たちと出会う事が増えた。

今回の文章の発端となっている井上さんもそのうちの一人だ。タコ公園で飲んでた時にたまたまテルマが連れてきて、「エレカシのくだりがある、包丁なんとかってブログ書いたエンジニアの人すか??」みたいな感じでグイグイ来て、その場で矢継ぎ早にプロダクト作る上でこういうのどうしたら良いですかという質問をされた記憶がうっすらある。あくまでもうっすらなのは、そのタイミングで既にかなり泥酔していたからだ。「適切で簡潔な問を繰り返す井上さんという人」という印象しかなかったがその後2回ほど飲みに行き、小さいチームでプロダクト作る為にソフトウェアも書くし、オペレーションも整えるし、チームは拡大する中、絶対リアルな仕事を貫き通したい、という話をしながら酒を飲み、気づいたら深夜のタコ公園でR-指定のUMB3連覇時のWining Rapを聞いていた。

リアルな仕事をしたい、ソフトウェアを書くのが好きだ、無名からのし上がりたい、口先だけのSNS野郎に負けたくない。数回しか会ったこと無いけど、話が一息ついたところで塩を舐め、日本酒で流し込み、万感こもる「それなぁ…」が言える。そういう邂逅のきっかけが、インターネットに書いた文章だったってのは、やっぱりインターネットと文章は強烈だと思う。

インターネットで公開される文章は面白い。真摯に書こうとすればするほど、書いている人間の諸々が、単語の選択、句読点、カッコ、改行から溢れてしまう。140字の制限もとても好きなんだけど、どうしようもなく文字の羅列から溢れてしまう人間というのはやはりあって、俺はそれがどうしようもなく好きなんだ。そういう文章は、誰かの心にピタッとはまってしまうタイミングがあって、そういった文章に自分も救われてきているという思いがある。

インターネットで公開される文章は面白い。顔も名前も知らない、物理的に接触できないのに、人間の痛覚を元に出来ている共感のセンサーが起動する。使い回されて半分以上バグってる上に悪用されることもある機能だけど、だからこそもしかしたら未来の希望なのではないかと思わせてくれるものがある。

そういう事を思いながら井上さんの文章をもう一度読み返したんだけど、生き様を書いた文章に対するアンサーなんかやっぱり出てこなくて、でも愚直に「良いプロダクト作りてぇから手を動かす」っていうのは完全に自分もそう思って仕事をしてるし、今後もそうしていきたいと思う。また酒を飲んで深夜のタコ公園でUMBのWining Rapを流して「……」ってなりましょう。2020も全力で行きます。